<アメリカの言い分>

「なぜ協力せんのか」


いらだつ米国民と攻められる国防長官

 イラク戦線が苦戦に陥り、ラムズフェルド国防長官への風当りが砂嵐となって吹き始めた。この男は、ブッシュと並んで、今回の戦争の元凶とみなされている。しかるに戦略の前提が甘すぎたか、作戦計画がまずかったか、イラク民間人の犠牲者が多いうえに、米軍兵士の戦死者も増えてきた。

 アメリカ人は苛立ち、反戦運動を激化させながら、政府に対しては何とかせよと迫る一方で、この戦争に協力しなかったドイツやフランスにもしゃくのタネをぶつけている。

 この両国が今のような一人前の顔をしていられるのも、もともとはアメリカの助けがあったからではないかというのだが、その不満と冗談を混ぜ合わせた歴史の回顧が、アメリカから山野さんのところへ送られてきた。 


情報戦――ここにアンテナが立つか立たぬか勝敗の分かれ目

 先ずドイツだが、その歴史上の事実をふり返り、アメリカの言い分を聞いてみよう。

歴史上の事実

アメリカの言い分

1914年

サラエボ事件に対するドイツの野心と陰謀から第1次世界大戦勃発

今さら戦争反対などと言えた義理か

1914〜1918年

ドイツは戦争中に何百万人もの大量虐殺

人道的な顔などしていられないはず

1917年

ドイツは平和を愛するアメリカを戦争に引きずり込んだ

それでいてアメリカの誘いに乗らないのはけしからん

1918年

ドイツ敗戦

勝手なことばかりやるからだ

1920年代

ドイツ民主化へ向かう

アメリカにならうのは良いことだ

1933年

ヒットラーが権力を握ったドイツは民主化政策を放擲

すぐにひっくり返る国だから油断がならん

1939年

ドイツのポーランド侵入で第2次世界大戦勃発

世界大戦は2度ともドイツが始めたわけで、いかに好戦的か分かる

1939〜45年

ドイツは何百万もの大量虐殺

これだけ人を殺しておいて、虫も殺さぬようなことを言いやがる

1945年

ドイツ第2次大戦に降参

やっぱり負けたか

1946年

ドイツ大飢饉。食べるものもなくなった。

それを助けたのは誰だと思う。莫大な援助を送ったアメリカを忘れたのか

1947年

ドイツ経済の破綻

マーシャル・プランによってドイツ経済を立て直してやったのもアメリカだぞ

1948〜49年

ソ連がベルリンを包囲

その包囲の中から救い出したのがアメリカだ

1949年

ドイツ連邦共和国(西ドイツ)設立

国をつくってやったんだぞ

1950年代

ソ連に攻め込まれる恐れがあったドイツを、膨大な軍備で守護した

ひとに守らせておいて、自分だけが「奇蹟の経済」を実現して復興した

1955年

ドイツNATOに加盟。

あれはドイツをソ連から守るための同盟だったのだ

1960年代

アメリカ軍がドイツに駐留

こうしてアメリカはドイツをソ連から守護しつづけた

1970年代

引き続きアメリカ軍がドイツに駐留

そのために費やした軍費は、もはや計算できないほど莫大な金額だった

1980年代

相変わらずアメリカ軍がドイツに駐留

そのための軍費は、計算できぬほど莫大な金額に上った

1987年

アメリカのレーガン大統領がゴルバチョフ大統領にベルリンの壁除去を要求

ということは、ドイツ人をあれだけ苦しめたベルリンの壁崩壊のきっかけをつくったのもアメリカだった

1989年

ベルリンの壁崩壊

アメリカの恩義を忘れるな

1990年

東西ドイツの統一

再び、アメリカの恩義を忘れるな

1990年代

ドイツへイスラム攻勢

これについても、アメリカは莫大な費用をついやしてドイツを守った

1993年

ドイツEUに参加

一人前になったのもアメリカのお陰だぞ

2001年

シュレーダー首相、9.11テロの後、アメリカへの軍事的支援を表明

当然だよ

2002年

シュレーダー首相、アメリカを非難

手のひらを返したような態度は何事か。

2003年

ドイツに反米主義が蔓延。

何十年もアメリカに頼り、アメリカに助けて貰いながら、今になって反米とは全く許せん


近代戦――進軍するカメラの砲列

 

 そのうえ何たることか、フランスまでがドイツと一緒になって反対しやがる。あの国は昔から本当に弱かったというのが、アメリカ人の判定である。ではフランス連敗の跡をたどってみよう。

戦  争

勝敗

アメリカの言い分

ガリア戦争
(紀元前1世紀)

負け

このことがその後2000年間のフランスの軟弱な歴史をつくることになった。あのときフランスは、古代ローマ人、すなわちこれまた大して強いとも思えぬイタリア人に征服されたのだ。

百年戦争
(1337〜1453年)

ほぼ負け

最後は、気の狂った娘ジャンヌ・ダルクにより辛うじて救われたが、このときフランスの戦争に関する基本法則が成立した。「フランス軍が勝つのは、指揮者がフランス人以外のときだけ」

イタリア戦争
(1521〜44年)

負け

フランスはイタリアと2度戦って2度負けたという珍しい国である。

三十年戦争
(1618〜48年)

一時参戦

フランスは旧教国であるにもかかわらず新教国の側について介入し、引き分けを主張しているが、他の参戦国は相手にしていない。

オランダ戦争
(1672〜78年)

引き分け

――

スペイン継承戦争(1701〜14年)

負け

スペイン王の継承を巡って、スペインとフランスの連合軍がイギリス、オランダ、オーストリアの同盟軍と戦った。フランスは海陸で苦況に陥り、ユトレヒト条約で終結したが、領土や植民地を失った。この戦争で、フランス人は初めてマールボロの味を知り、大いに好まれるようになった。菓子ごときに全国民がうつつを抜かすとは情けないことである。

フランス革命
(1789〜1792年)

勝ち

とは言っても、フランス人どうしの争いだから、どっちが勝ってもフランスの勝ちに決まっている。

ナポレオン戦争
(1795〜1815年)

負け

上述の基本原則によって、コルシカ人のナポレオンが指揮を執ったために一時的に勝ったが、最後はワーテルローの戦いでイギリスの靴屋ウェリントンに負かされた。

普仏戦争
(1870〜71年)

負け

これでドイツの無粋な男たちは初めてフランスのマドモアゼルと近づくことができた。

第1次世界大戦
(1914〜18年)

引き分け

本当は負けていたが、アメリカ軍に救われた。フランスの女性たちは今度はアメリカ人と寝ることになったが、「フロイライン」などと呼ぶドイツ男よりは余程良かった。もっともアメリカの兵隊たちはみんなコンドームを使ったので、負け癖のついたフランス民族に強い血を注ぎこむことはできなかった。

第2次世界大戦
(1939〜45年)

負け

またしてもドイツに占領されてしまった。女性たちはドイツ語の歌を習い憶えた頃、アメリカ軍とイギリス軍に救い出された。

インドシナ戦争
(1945〜54年)

負け

フランス軍が負けたのは猖獗の地で病人が増えたためにやむを得なかったと主張している。

アルジェリア戦争
(1954〜62年)

負け

この負けは十字軍以来、西側軍隊が初めて非トルコ系のイスラム教徒に敗れたもので、再び新しい法則を生み出した。すなわちイスラム教徒は「絶対にフランス軍に負けることはない」というものだが、この法則はイタリア、ロシア、ドイツ、イギリス、オランダ、スペイン、ベトナム、エスキモーから見ても当てはまる。


戦争の行方を決めるテレビ報道合戦

 かくて戦争好きのドイツがなぜ今になって、恩知らずにも反対するのか。弱虫のフランスに至っては、そもそも発言権すらないはずだと考えているのがアメリカである。

西川  渉、2003.3.28)


「君の症状は戦争疲労だ。時どきはテレビを消しなさい」

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