
ペンタゴン崩壊9.11多発テロがあった日のことについて、ワシントン近郊のフェアファックス病院で待機をする救急ヘリコプターのパラメディックが、最近の航空医療雑誌『AirMed』に書いている。その要約は次のとおりである。
その朝、われわれクルーは待機の準備を終えると、ニューヨークの恐ろしくも信じがたい光景をテレビで見ていた。そのとき不図、飛行機の爆音が聞こえたような気がした。待機室の外に出て見たが、変わった様子はない。「まさか、ニューヨークのようなことが首都で起こるはずがない」と思ったのもつかの間、ワシントンの方角に黒煙の上がっているのが見えるではないか。
私はあわてて部屋に引き返した。テレビが「ペンタゴンがやられた」と報じている。一瞬クルーの全員が呆然となったが、やがて気を取り直すと、手もとにあった気道確保のための用具や点滴用の輸液をかき集めてベル412に積みこんだ。
その作業が終わるか終わらぬうちに電話が鳴って、ワシントンのアーリントン・カウンティからの出動要請が届いた。
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ワシントンに近づくと、いつもは多数の飛行機で混雑しているレーガン・ナショナル空港の周辺空域がカラッポで、管制塔にも人がいなかった。ただ警察、報道、救急などのヘリコプターだけが飛び回っていた。
われわれはペンタゴンの現場から数百メートル離れたハイウェイのそばに着陸した。私はヘリコプターから降りて、近くの橋の下に設けられた救護所に行った。そこには病院、警察、軍隊などの関係者が集まって、トリアージの手はずをととのえていた。
しかし、患者は1人だけだった。50歳くらいの女性で、腕と脚に2〜3度のやけどをしていた。応急治療が終わると、彼女は救急車で病院へ搬送された。ヘリコプターを使わなかったのは、そのとき2度目のテロ攻撃があるという情報が届いたからである。
その2度目の攻撃の恐れがなくなって、救護所は現場に近いところへ移動した。それから数時間のあいだ、多数の兵員や警察官が救護所の警備をするようになり、さまざまな機関から集まってきた医療スタッフも、それぞれの役割分担を決めた。しかるに患者は1人もあらわれない。
目の前では、ペンタゴンが燃えつづけていた。体当たりをした旅客機の搭載燃料が全て燃えつきるまでは消えるはずがなかった。
その頃、われわれの所属するフェアファックス病院では、救急センターに12組のトラウマ・チームが集合していたらしい。その中には自宅から呼び出された非番の医師や看護婦もいた。さらに、普段は予備機として使われている2機目の412ヘリコプターも、ペンタゴンの現場に到着し、待機の態勢に入った。
救護所には、午後になってからも応援のスタッフが増えつづけた。FEMA(連邦危機管理庁)のチームもやってきた。現場にはもはや生存者はいない。焼け焦げた遺体ばかりだという話が伝えられた。それでも救急機関は、ヘリコプターや多数の救急車と共に待ちつづけた。
ペンタゴンの火炎は依然として収まらず、消防士たちが勇敢な働きを見せていた。これ以上、生存者のいないことは誰の目にも明らかだった。しかし、消火活動をしている消防士たちが怪我をしたり火傷をしたりするおそれがあるかもしれない。われわれは2機の救急ヘリコプターと共に待機を続けた。
夜になった。ペンタゴンへの救援部隊はさらに増加し、赤十字が姿を見せ、新手の軍隊も到着した。彼らは重機械を持っていて、瓦礫の山を掘りくずしたり、それを取り除いたりする作業に当たった。
救護所のそばにテントが張られ、弁当が配られた。近所からの差し入れだった。瓦礫の中から星条旗が見つかって、竿の先に高く掲げられた。われわれは、それを見ながら徹夜で待機を続けた。その夜は、まるで超現実の世界に迷いこんだようにも思えた。上空高いところに戦闘機が飛んでいた。頭上の低いところでは警察や軍隊のヘリコプターが旋回していた。そしてペンタゴンの巨大な建物にポッカリとあいた巨大な穴からは、依然として煙と炎が噴き出していた。しかし結局、患者は1人もあらわれなかった。
夜が明けてもペンタゴンはくすぶりつづけ、消防士たちの活動も続いていた。やがて焼け焦げた遺体が建物の中から次々と運び出され、救護所の前を通って、どこかへ運ばれて行った。
われわれが本拠地に戻ったのは午前7時半であった。
パラメディックの文章はそこまでだが、私自身は2月なかばバスでペンタゴンのそばを通りかかった。9.11テロから丸5か月がたって、建物はまだ復旧工事の最中である。目の前に2本の大きなクレーンが立ち、茶色い鉄骨の周りを黄色の板塀が取り囲んでいた。
建物の被害は、大型ジェット旅客機がぶつかってきただけではない。上の文章にあるように、大量の航空燃料が燃えて長時間にわたる大規模な火災が生じたばかりでなく、ニューヨークのワールド・トレード・センター同様に崩壊が起こった。無論ここは部分的だったけれども、やはり大量の犠牲者が出たのである。
復旧に時間がかかるのもやむを得ないことであろう。下の写真は私自身がバスの中から撮ったものである。
(高速道路を走るバスから見ていると、前方左手にクレーンの立った工事現場が見えてきた。
その現場を含めて画面右手に低く広がる窓の多い建物がペンタゴン。建物は5階建てであろうか。
低く見えるので、これに飛行機で体当たりするのは難しかったろう,
などと言えば不謹慎だと叱られるかもしれない。
ぶつかる前に一度バウンドしたという説もある)
(工事現場を見下ろすような恰好で、ペンタゴンのすぐ横をハイウェイが走る)
(西川渉、2002.3.20)
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