<ヘリ・エキスポ2003>

似 顔 絵

 1989年のパリ航空ショーは、私にとって初めての経験であった。それまではヘリコプター事業の実務が忙しく、とりわけショーの開かれる6月はヘリコプター作業の最盛期に入る時期で、とても外国なんぞへ見物旅行に行くような余裕はなかったのである。

 それが、このころからいくらか余裕ができて、初めてのショーは開会初日から驚かされた。いきなりソ連の戦闘機が墜落したのである。そのとき私は屋内でメーカーの人からヘリコプターのこまかい説明を聞いていた。頭の上ではものすごい轟音が鳴りひびき、無意識のうちにそれが聞こえていたが、不意に静まった。瞬間あたりがシーンとしたと思ったら、話相手のアメリカ人が「クラッシュ!」と叫んで、サヨナラもなく跳び出して行った。

 こっちもあわてて外へ出たが、会場はシャレーが軒を連ねているので滑走路の方がよく見えない。あちこち走り回って、ようやく見えたのは大変な人垣の向こうをソ連人のパイロットが誰かに手を取られて歩いてくるところだった。つまり事故機のパイロットは無事だったのである。

 あとでテレビや新聞で、デモ飛行をしていたミグ29の下の写真のような墜落場面を見て「ヘー」と思ったが、現場にいながら実際の場面は見ることができなかった。 

  この写真で見ると、ミグは頭から飛行場の草地へ突っ込み、その横へ射出座席で脱出したパイロットが落下傘で降りてきたらしい。そのもようについて、当時の新聞は次のように書いている。

<ソビエトのミグ29単発戦闘機はパリ89開幕の日、5分間のデモ飛行の際、高度約100mでアフタバーナを全開にして垂直上昇を見せようとした。とたんに両方のエンジンから黒い煙が出て、右エンジンから真っ赤な炎が噴き出した。それからゆっくりと右へロールしながら機首が上がったかに見えたが、地面に向かって逆落としの姿勢になった。

 その瞬間、機体からキャノピーがはがれて、パイロットのすわった座席が地上50m近くの上空まで射出された。ドラグシュートが開いて、それに引き出されるようにしてメインシュートが開く。けれどもパイロットがルブールジェ空港の滑走路30の左側草地に落下したとき、メインシュートはまだ半開きだった。

 パイロットはひどい骨折で、直ちにヘリコプターで近くの陸軍病院へ搬送された。ミグ29は地面に当たった瞬間火の玉となって、砕け散った>

 してみると、上の写真は地面に衝突して爆発する直前のほんの一瞬をとらえたものに違いない。画面が良くないところを見ると、ビデオ映像の一齣だろうか。一方、このときショー本部のプレス・ルームにいた漫画家は、ミグの事故を下のようにとらえている。

 

 

 上の写真は先ほど墜落したミグ29の煙であろうか。その煙を背景にして澄ましこんでいるのは、A/F-18ホーネットである。ホーネットとは強い毒性をもったスズメバチのことで、そこから漫画家の連想を引き出したのが下の絵である。

 このときのパリ航空ショーには、背中にスペース・シャトルをのせた6発の巨人機ムリヤが登場して人気を博した。しかし、あんな大きな赤ん坊をおんぶして飛ぶのはきついだろうなというのが漫画家の印象である。


「すやすや」「仕事、仕事、ふウふウふウ……」

 ムリヤは一昨2001年のパリ航空ショーにも、今度は背中の荷物をおろし、身軽になって登場した。

 この頃、フランスのダッソー・ラファール戦闘機は1986年の初飛行から3年ほどたったところで、まだ開発途上にあった。以来10年余をかけて熟成してきたわけだが、フランスとしては当時からこれを銘酒ナポレオンのように仕上げることをめざしていた。下の漫画はそれを描いたものである。

 ここで一挙に今年の話になるが、先月のヘリ・エキスポ会場で、参会者の似顔絵を描いている漫画家がいた。シコルスキー社のブース前を通りかかると偶然希望者のとぎれたところだったので、画家の前の椅子にすわった。趣味は何かと訊かれたので、個人ホームページをつくっていると言うと、ニヤニヤしながら下のような絵を描いてくれた。 

 私のパソコン操作については、よほど素人に見られたらしい。無論そうでなければ漫画として面白くないわけだが、初歩のマニュアルを手にしながら、パソコンが動かないといって騒いでいる場面である。この絵を描いて貰ったところをシコルスキー社の人に下のような写真に撮って貰った。自分の似顔絵を描いて貰ったり、漫画になったり、これも初めての体験である。

(西川渉、2003.2.22) 

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