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空港で見た除細動器

 

 先日の新聞に「厚生労働省は救急救命士にも気管内挿管を認める方針」という記事があった。この問題は近年さまざまなな論議がなされてきたもので、法規に照らした解釈では、気管内挿管は医療行為だから医師以外の、たとえば救急救命士などが行うのは医師法違反ということになっている。

 しかし救急現場で生死の境にある患者を見殺しにすることはできない。というので、救急救命士もこれを行うことがあった。無論それなりの研修や訓練を受けた上でのことで、結果としては助かったり助からなかったりするわけだが、統計的には、違法にもかかわらず、実施地域の救命率が全国平均を大きく上回ることが明らかになった。

 たとえば秋田市の場合、全国平均の3倍近い救命率になったというのである。ところが昨年、遵法精神と正義感の旺盛な新聞が、これは違法ではないかと書いて以来、救急車から挿管器具が取り外され、これからはみすみす死ぬ人が増えるだろうと見られるに至った。

 ところが今や、厚生労働省の方針転換によって法律が改められ、救急救命士でも気管内挿管ができるということになれば、目の前の患者を見殺しにするつもりかなどという人道論を振り回す必要もなくなる。あとは第一線の救急救命士の皆さんがいっそう研鑽を積んで、安全確実に多数の人命を助けていただくよう、お願いするばかりである。

次は特定3行為問題

 こうなると、次に残された問題は「特定3行為」である。これは「医師の指示の下」という条件つきで、救急救命士に認められた救急処置である。

 内容は、心肺機能停止状態の患者に対し、医師の具体的な指示があれば、次のような特定行為ができるというもの。

  1. 半自動式除細動器による除細動
  2. 厚生大臣の指定する薬剤(乳酸加リンゲル液)を用いた静脈路確保のための輸液
  3. 厚生大臣の指定する器具(食道閉鎖式エアウェイおよびラリンゲアルマスク)による気道確保

 このうち3番目の処置は気管内挿管と同じような目的だが、気管ではなくて食道に管を入れて気道を確保する。技術的には気管内挿管より容易ではあるが、外れやすいとか、嘔吐の場合の対応が難しいとか、場合によっては食道を逸れて気管の方に入ってしまうとか、それなりの問題があるらしい。

 いずれにせよ、これらの行為は「医師の指示の下」でなければならない。救急現場に到着した救急救命士は患者の容態を見て、その場にいない医師と電話や無線で連絡を取り、容態を説明して指示を受けることになる。しかし、そんな手間ひまかけている間に、患者の容態はどんどん悪化する。わずかな時間差で生死が分かれるかもしれない。

矛盾を含む緊急手順

 このように特定3行為の規定は、一刻を争う緊急時の手順としては大変な矛盾を含むものといわざるを得ない。したがって「医師の指示の下」という条件がどうしても外せないとすれば、欧州の多くの国でおこなわれているように、医師みずから現場へ出るべきであろう。

 日本でもこのほど始まったドクターヘリは、ヘリコプターに医師が乗って現場に赴くから問題はない。気管内挿管でも特定3行為でも、その場で処置をするので救命率は大きく向上した。

 逆に、消防防災機や救急車にはほとんど医師が乗っていない。救急救命士だけで出動するけれども、その手が法規に縛られたままで、医師の方は遠くの病院で待っているというのでは、救われないのは患者である。

 アメリカも、医師が現場に往く例は少ない。その代わりナースやパラメディックだけで高度の初期治療ができる技能と権限を持っている。パラメディックの研修や訓練の時間も日本の2〜3倍に達し、内容も深い。

 こうした体制を「メディカル・コントロール」と呼び、現場救急に当たる消防機関と、それを受ける医療機関とが一体となって救急業務を進めている。しかし日本は医療機関と消防機関の一体感が乏しい。救急車は急病人を運ぶだけで、患者の生死は医療側の問題といえば極端な言い方になるが、それに近い空気が支配している。そのためメディカル・コントロールという言葉を聞いた消防関係者が「お医者の管理下に入れというのか」などと、意味を取り違えた反応をしたりするのである。

倒錯状態をどうするか

 最近は、しかし、メディカル・コントロールなどとむずかしい言葉を使わなくても、たとえば除細動器などは技術の進歩がいちじるしく、誰でも使えるようになった。たとえば旅客機の中ではスチュワーデスがこれを使って、乗客が急に心筋梗塞を発したようなときの応急処置をしている。アメリカン航空などは1997年から除細動器を搭載し、2001年までの4年間に26人の乗客の命を救った。こうしたことからFAAは最近、2004年4月までに米国内線の全機に除細動器の搭載を義務づける指示を出したほどである。

 日本も遅ればせながら、というより大きく遅れて、昨年末ようやく客室乗務員が除細動器を使えるようになった。ただし機内に医師がいない場合の「緊急やむを得ない措置として」行うという条件付きである。

 そうなると、スチュワーデスが出来るくらいなら、多少とも医療訓練を受けた救急救命士も、いちいち医師の指示を受けなくてもいいのではないかという疑問が出てくる。特定3行為についても、気管内挿管と同じく、見直す時期がきたのではないだろうか。

 先日ワシントンのダレス空港で、除細動器が置いてあるのを見かけた。モービル・ラウンジの中や、免税店が並ぶターミナルビルなど、まるで火災報知器か自動販売機のように、何気なく置いてあって、無論そこにはドクターもパラメディックもいるわけではない。最近は、子どもがこれを使って親を助けたという話も聞いた。

 この装置が専門家でなくても誰でも扱えるのは、機械が患者の容態を判定して自動的に作動し、心臓が動いているうちはスィッチを入れても作動しない仕組みになっているからである。しかも医師の指示どころか、逆にそれが置いてないところで心臓マヒのために人が死んだりすると、空港会社が訴えられたりするらしい。

 アメリカでは除細動によって子どもが親を助け、日本では正規の資格を持った救急救命士ですら除細動ができぬまま、目の前で患者さんが死んでゆく。この奇妙な倒錯状態を、われわれはどう考えたらいいのだろうか。


(ワシントン・ダレス空港の免税店の横に置いてあった除細動器
ハートにひび割れの入ったマークがついている)


(除細動処置によって、本頁冒頭で止まっていた心臓が動き出した) 

(西川渉、『日本航空新聞』2002年3月23日付け掲載)

 

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