わが国ヘリコプター防災の課題

――アメリカの防災体制に照らして考える――

 

ヘリコプターの天命

 ヘリコプターは「垂直飛行」という特性を持つ。垂直離着陸とホバリング(空中停止)が可能で、なおかつ自在に空中を飛び回ることができるため、災害救助や緊急輸送など、防災面で大きな機動力を発揮する。

「近代ヘリコプターの父」といわれるイゴール・シコルスキーは1939年、ヘリコプター原型機の飛行に成功したとき、直ぐに、この特異な航空機が人命救助に使えることに気がついた。そして「誰かが助けを求めているとき、飛行機はそこへ飛んで行って、上空から花束を投げて激励するだけだが、ヘリコプターはその人のそばに降りて行って救助することができる」という有名な言葉を残している。

 そのシコルスキー・ヘリコプターが実用化されるや、米軍は直ちに第2次世界大戦中の戦場へ送り、偵察や連絡に使う一方、負傷兵の救護に当てた。このときはまだ、ごくわずかな事例だけだったが、5年後の1955年に始まった朝鮮戦争では多数の小型ヘリコプター使い、兵員の輸送と共に患者搬送に使用した。そして10年後のベトナム戦争ではもっと本格的にヘリコプターを起用する。

 特にジャングルの戦いでは、兵員、弾薬、食糧の輸送、斥候と偵察、攻撃と撤退、傷病兵の護送など、全てをヘリコプターの機動力に頼った。とりわけ驚くべきは、当時の米陸軍に「戦闘中の兵員は救護施設からヘリコプターで35分以上の遠距離に離れない」という原則があったこと(参考文献1)。戦争だからといって闇雲に突っ込んで行って危険を冒すのではなく、あくまで人命保護を第一に考えたのである。

 その結果、負傷兵の死亡率は、第2次大戦中の5%台から、朝鮮戦争では2.5%前後に下がり、ベトナム戦争では1%余となった。ジャングル地帯には道路も救急車も電話も病院も何もない。それでもヘリコプターを投入しただけで、そうした不備の大半が解消されたのである。とすれば、同じやり方を国内の交通戦争その他の災害に当てれば、これまた同様の効果を挙げることができよう。そういうところから米国のヘリコプター救急が始まったのである。

 つまりヘリコプターを活用すれば、救急体制が不充分な地域でも、救急患者を容態に合った病院へ迅速に搬送することができる。莫大な費用をかけて高度の医療機関をつくったり、専門医を集めたりしなくても、救命率を上げることができるというわけである。 

宣戦布告のない戦争

 災害は戦争である。しかも宣戦布告のない奇襲攻撃を受けるようなものである。こうした奇襲攻撃に備えて、ヘリコプターの機動力を最大限に発揮させるにはどうすればいいのか。

 アメリカ政府は今から15年前、災害時のヘリコプター利用に関する基礎データを収集するための調査をした。その結果は米運輸省が1990年6月、「大規模災害におけるヘリコプター利用のケース・スタディ」と題するA4版、100頁ほどの報告書として発表している(参考文献2)。内容は1978年から89年の12年間に起こった18件の大規模災害について、ヘリコプターがどのように使われたか、役に立ったか立たなかったか、有効であるためには如何にあるべきかなどを実態にもとづいて具体的に調べたものである。

 調査の結果は表1のとおりである。ここに見られるように、災害の種類は多岐にわたり、地震、竜巻、洪水、暴風雨などの自然災害から建物火災、鉄道事故、航空事故、さらには殺人事件にまで及んでいる。

 

表1 大規模災害におけるヘリコプターの利用状況

 

 これら18件の災害で負傷した人は、6,824人以上に達し、そのうち564人が死亡している。他に負傷者数不明の災害が4件、死亡者数不明の災害が2件あるから、実際の死傷者はもっと多かったであろう。

 こうした死傷者に対し、ヘリコプターによって直接救助されたり搬送された人数は3,357人であった。とりわけ目立つのがカリフォルニア北部の洪水だが、これは1986年9日間にわたって吹き荒れた激しい暴風雨によって大洪水が起こり、濁流のなかに取り残された人びとをヘリコプターで救出したものである。

 救出作戦にはカリフォルニア州兵の空軍および陸軍のヘリコプターが出動し、民間ヘリコプターも加わった。しかし各機ばらばらに行動したわけではなく、陸軍と空軍が共同指揮所を設け、民間機を含めて統一された指揮のもとに活動したのである。そのうえ空軍のC-130輸送機が常に上空にいて、長時間の滞空性能を利用しながら、低空を飛ぶヘリコプターの無線連絡の中継に当たった。

 

伊勢湾台風では5千人救助

 このカリフォルニア州北部の洪水で、あるヘリコプターは連続15時間にわたって飛びつづけ、138人を救出した。また別の2機はチームを組み、夜を徹して遭難者の捜索をつづけ、濁流の中に取り残された人を見つけると、1機が吊上げ救助などの作業にあたる間、別の1機が上空にとどまってサーチライトで現場を照らすといったチームワークを見せた。

 いうまでもなく洪水のときは激しい濁流のために舟が使えず、救出した怪我人を病院へ運ぼうにも救急車は役に立たない。ヘリコプターこそは唯一の救助手段なのである。

 ちなみに、アメリカの調査報告書からは離れるけれど、こうしたヘリコプターの救出記録の中で、おそらく最も人数の多い一つは日本の伊勢湾台風でる。1959年(昭和34年)10月、日本に駐留していた米軍と発足間もない自衛隊のヘリコプターが、5,000人以上の人びとを濁流の中から救出したのである。このときは、ほぼ同数の5,000人が死亡しているから、ヘリコプターがなければ犠牲者の数は2倍になっていたかもしれない。

 日本にこれだけの実績がありながら、なぜ阪神大震災ではヘリコプターで救われた人がほとんどいなかったのか。一方は洪水であり、他方は地震である。また一方は田舎であり、他方は大都市の災害という条件の違いもあろう。しかし果たして、それだけの違いによるものだろうか。

 誤解を恐れずにいうならば、伊勢湾台風では救助の主体が米軍であった。おそらくは自衛隊を指揮下において、臨機応変、自由闊達な救助作戦を展開したにちがいない。しかし阪神大震災では法規に縛られた社会体制の硬直化が進み過ぎ、危機意識も弛緩していたからではないだろうか。あるいは根底にイデオロギーの問題があったという話も聞かれたが、人命救助にイデオロギーやメンツなどは無関係である。

 さらに緊急事態に当たるべき当事者が失敗を恐れて、手足が萎縮したのかもしれず、彼我の国民性の違いも感じられる。もしも阪神大震災が1959年の出来事だったとしたら、もっと多くの人が救われたかもしれないというのは、言い過ぎだろうか。

 なお、伊勢湾台風よりもさらに多くの人命が救われた洪水は、1955年のメキシコである。このときも米軍のヘリコプターが出動し、総計9,262人を救出した。地元の市長はヘリコプター部隊への感謝の言葉の中で「この数日間、私たちは数々の奇蹟を見た」と語っている。

 

ポトマック川の悲劇

 アメリカの報告書に戻ると、これは有名な事故だが、ワシントンのポトマック川に墜落した旅客機の悲劇である。1982年1月、極寒の空港を飛び立ったエアフロリダのボーイング737は、翼に張り付いた雪のために揚力が奪われ、凍てついた川面に突っ込んだ。

 水面下の機内では乗客・乗員合わせて74人が死亡、わずかに6人が浮かび上がった。このとき、雪の荒天をついて1機だけ飛来した警察の小型ヘリコプターは、水面すれすれにホバリングしながら、ドアから身を乗り出した救助隊員が凍死寸前の人びとにロープの先につけた浮き輪を投げ、それにつかまらせて1人ずつ川岸まで引っ張った。

 その献身的な救出劇はテレビの生中継によって全米に報じられ、見る人の感動を呼んだ。とりわけ浮き輪が投げられるたびに他の人に譲るつづけ、ついに川底に沈んで行った無名の男性は悲劇のヒーローとして称賛された。しかし後に、この警察ヘリコプターが充分な救命装備をしていなかったことが批判の対象となった。もしあのとき、海難救助に使うような救助ネットがあれば、力つきた遭難者を一時に2人ずつすくい上げることができたはず。とすれば、ヘリコプターを目の前にして沈んで行った6人目の人も助けられたかもしれない。

 さらにヘリコプター自体、スライディング・ドアでなかったために開け放したまま固定できず、救助隊員は片手でドアを押さえていなければならなかった。さらには警察、消防、救急隊などの間で無線周波数がばらばらだったために相互の交信もできない状態だった。

 首都の危機管理としては、文字通りお寒い限りというので、この事故から2年近くたった翌年末、警察と消防の間で相互協力協定が調印され、ヘリコプターの装備も改められた。

 

事前の準備が不可欠

 米運輸省は、上のような18例の災害調査結果から共通点や問題点を洗い出し、良かった点と改善すべき点を抽出して、「防災計画におけるヘリコプター活用ガイドライン」(参考文献3)を作成した。そして、これを全米の州や市町村などの自治体に配布し、それぞれの地域防災計画にヘリコプターを組み入れるよう要請した。ガイドラインの内容は、表2の目次に示すとおりである。

 

表2 「ヘリコプター活用ガイドライン」の内容

 この中の第1章目的の冒頭には、「ヘリコプターを使う最大かつ最優先の目的は人命救助である」と宣言している。しかし「ヘリコプター活用計画は全般的な防災計画の一環であって、それだけが独立して存在するものではない」「緊急事態だからといって、無理をしてヘリコプターを使うのはよくない。安全を確保した上での救助活動でなければならない。そのためには事前の準備が不可欠である。入念な準備、体制づくり、訓練が必要で、これなくしては有効かつ安全にヘリコプターを使うことはできない」といった注意を喚起している。

 ヘリコプターといえどもスーパーマンや月光仮面ではない。都合の良いときに都合良く飛んでくるわけではないし、飛んできても事前の準備がなければろくな働きはできない。これは映画撮影にヘリコプターを使うのとは異なる。映画撮影ならば、現場に臨んで充分な打ち合わせができるし、うまく撮影できなければ何度でも撮り直しがきく。ところが災害は、先に述べたように宣戦布告のない奇襲戦争である。いきなり本番の一発勝負で、やり直しはきかない。したがって普段から充分な体制作りや訓練などの準備をととのえておく必要がある。

 では災害が起こったときに、ヘリコプターはどんなことに使えるのか。表3は、このガイドラインが掲げる16項目である。実際はもっとあるかもしれない。この16項目のうち最初の5項目は人命救助である。災害対策は何よりも人命救助が優先しなければならない。

 

表3 ヘリコプターの災害対応任務

 

事前準備の具体的内容

 事前の準備とは、どのようなことをするのか。第3章は、そのやり方を具体的に説明している。一つは、どこにどんな機材があるのか、あらかじめ利用の可能性を調査し、万一のときは支援をしてもらえるような話し合いをしておくことである。調査の結果は整理してリストアップし、自治体の防災担当者が誰でも、いつでも、分かるようにしておく。調査すべき内容は、たとえば表4の通りである。

 

表4 ヘリコプター供給源の調査

 さらに、ヘリコプターに関する情報ばかりでなく、特殊装備に関する事項も調査し記載しておく。各運航機関や運航会社がカーゴフック、救急医療装備、機外スピーカー、ホイスト、赤外線暗視装置、救助ネット、写真設備など、どのような附属装備を持っているかを明確にする。

 一方、自治体の方も、単に出動要請を出すだけではない。自らの準備も必要で、依頼者側で準備すべき機材としては夜間捜索や臨時着陸に必要なサーチライト、遭難者救助のための吊り上げホイスト、カーゴフック、吊り下げ運搬用のカーゴネット、カメラ、ビデオ・カメラ、消火用バケット、携帯無線機などが考えられる。

 支援ヘリコプターが飛んできても、そこにバケットがなければ消火作業はできない。ネットがなければ吊下げ輸送ができない。相手が自衛隊であろうと民間企業であろうと、これらの特殊装備品をどちらで準備しておくか、話し合っておく必要がある。

 もうひとつ、応援を依頼したときは有償である。無論いつ起こるかもしれない災害は、ヘリコプター会社にとって事業とかビジネスというようなものではない。だからといってタダというわけにはゆかない。また警察、消防、海上保安庁、自衛隊との間で応援協定を結ぶ場合も、費用負担をどうするのか、あらかじめ決めておく必要があろう。

 さらに、通信連絡システムをどのように整えるのか。さまざまなな緊急機関が一体となって活動するには指揮命令系統をどうするのか、役割分担をどうすべきかについて、「ガイドライン」は第4章で述べている。

 

飛行制限と航空管制

 災害現場の上空では飛行制限も必要である。米国の場合は、航空法規(FAR14CFR)第91.137項(一時的飛行制限)の規定にもとづき、防災責任者は現場空域の飛行制限を連邦航空局(FAA)に要請することができる。その要請に際しては制限空域の場所と理由、予定の制限期間、制限高度(災害の種類と内容、風、建物の高さ、航空機数などで決まる)などを明確にして、救助活動の責任者がFAAに要請する。

 阪神大震災のときは、被災地上空を多数のヘリコプターが飛び回った。その大半は報道取材機で消火や救助には関係なく、被災者を苛立たせたばかりか、騒音がひどくて崩壊した建物の下の被災者を捜し出す妨げにもなった。このため後になって飛行制限はできないのかという声が上がり、兵庫県知事からは一定の時間を定めて飛行を自粛する「静粛時間」といった制度を設けてはどうかという提案もあった。また航空局と日本新聞協会との間でも話し合いがもたれ、代表取材といった取り決めもできたようだが、法規の制定にまでは至ってない。

 このような飛行制限がアメリカで最も大規模になされたのは、記憶に新しい2001年秋の9.11テロである。米本土の全空域が飛行禁止になり、戦闘機だけが警戒飛行を続けるという空前の出来事であった。もっとも、これは極端に過ぎて余り参考にはならないかもしれない。

 災害現場の上空では、飛行制限ばかりでなく、航空管制も必要である。多数の救援機が飛来したときの交通整理をしなければならないからだが、この管制業務について「ガイドライン」は先ずFAAがおこなうとしている。大きなトレーラーバスを移動管制塔に仕立て、屋根の上に無線アンテナを立てて、管制官自らも屋根に上り、上空を見ながら管制をする。

 しかし、そういうものが全米にあるわけではないから、たとえば警察の小型ヘリコプターが上空を旋回しながら航空交通の整理をする。あるいは軍隊のヘリコプターや飛行機でおこなうこともある。

 交通整理と同時に野次馬の排除も必要である。アメリカでは大災害が起こると、自家用機で見物にくる野次馬がいる。航空管制は、そうした邪魔ものをも排除しなければならない。これで消防機、救急機、緊急輸送機は安心して、被災地付近を飛び、救難業務に専念することができる。

 

着陸場所の設営

「ガイドライン」第5章は被災現場におけるヘリコプターの着陸場所をどのように設定するか、具体的に説明している。選定基準としては、先ず周囲の障害物の有無を確認し、進入離脱経路を定め、敷地の大きさと表面の状態や傾斜の具合を見ながら、着陸帯を設定する。その上で吹き流し、風向風速計、照明設備などを置く。

 こうした緊急ヘリポートは、普段から確保しておくことが重要である。そのうえで災害時にはヘリコプターが飛来することを公表し、その場に表示しておくことが望ましい。日本でも、阪神大震災の後、各地でこうした準備をしておこうという話題が高まったが、実際に各地域防災計画の中でどのくらい進んでいるだろうか。

 第6章は計画の発動、訓練、事後分析について述べている。ヘリコプター活用計画が如何に立派にできても、つくっただけではペーパープランに終わってしまう。魂が入って動き出すには、何よりも普段から不断の訓練が重要である。危機に対応するための最善の方策は日頃の訓練につきる。特にヘリコプターのような特殊な機材を使いこなすには、あらかじめ試験飛行や訓練飛行を重ね、それに慣れておく必要がある。

「防災ヘリコプター活用計画ができたならば、実際に発動する前に、何度かテストをしてみる必要がある。そして計画のどこに欠陥や問題点があるかを具体的に見きわめ、その都度修正し、現実的な実効あるものにしなければならない。また、いったん完成したのちも、常に訓練を繰り返し、関係者の身についたものにしてゆく必要がある」と「ガイドライン」は述べる。

「自治体の防災担当者は訓練によって、かなりのことを呑み込むことができる。航空の素人がヘリコプターの運航管理をするのは決して容易なことではない。しかし何度か繰り返して訓練をしていくうちに、航空法規や運航規程に発するさまざまな問題があることを、実地に即して知るようになる。最終的にはパイロットや運航会社の社員と同じような気持ちで、ヘリコプターを使えるようになることが望ましい」

 

普段から不断の訓練

 訓練は時と場所に応じて、さまざまなシナリオが考えられる。地震、台風、洪水、火災、火山噴火、航空事故などである。したがって、それぞれの災害に対応する訓練を重ねていく必要がある。

 訓練の実施に当たっては、その「時期と目的をあらかじめ公表し、ヘリコプター運航者にも知らせておくことが重要である。それによって彼らは、自分がどこまでできるのかを実地に知ることができる。不意の訓練は、対応時間を測るのにはよいけれども、全般的な訓練のためにはさほど有効とはいえない」

 訓練は、どのような規模でおこなうか、時と場合に応じてさまざまなレベルが考えられる。担当者だけの机上の小規模訓練から軍隊の大型ヘリコプターまで出動させるような大規模なものまであり得る。

 大規模訓練は、準備に時間がかかり、莫大な費用もかかるが、一度これをやってみると防災計画のすべてが試されることになり、どこにどのような欠点があるか充分に解明することができる。

 中規模訓練は、かなり現実的な訓練である。これには民間ヘリコプターの参加を要請し、お互いに相当の経験をすることができる。

 机上の訓練は「相互の連絡通信訓練である。担当者が電話や無線機によって出動要請、飛行の指示、救援内容の依頼などをするだけでも有効な訓練になる。しかも費用はほとんどかからないし、時間も最小限ですむ。この訓練を正しく実行すれば、非常に大きな価値があろう」 と「ガイドライン」はいう。

 このようにして防災関係者の習熟度を上げる必要があるのは何故か。それは冒頭にも述べたように、災害は一種の戦争状態だからである。すべてが一刻を争って動かなければならない。ちょっとした判断ミスが大きな失策や二次災害を招く。逆にそうしたミスを恐れて、とっさの決断ができないこともあるだろう。

 担当者が自信をもって判断し、責任者が的確な指示を出すためには、日頃の訓練がものを言う。防災担当者が訓練を重ねていれば、それを見ている住民もわが町の防災対策に安心するだろうし、いざというときもヘリコプターの救援活動を信頼するようになるであろう。

 間もなく阪神大震災から10年になる。あのときの悲劇を、われわれは決して忘れることなく、その教訓を生かしながら、いっそう強固な防災計画をととのえてゆかなければならない。(2002年12月18日内閣府防災部門での講演要旨に加筆)

【参考文献】

(西川 渉、「地域防災民間緊急医療ネットワーク」誌、2004年3月27日付所載)

 

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