<来日50周年>

ボーイング・ヘリコプター

 

 今年はボーイング社が日本に拠点を置いて50周年だそうである。この50年間に同社が製造にかかわったヘリコプターは意外に多い。ジェット旅客機ばかりがボーイングではないのである。

 中心はボーイング・バートル機だが、その前身はパイアセッキ社。その社名がバートル社に変わり、1960年ボーイング・バートル社として傘下に入った。

 ヒューズ・ヘリコプターは1970年に発足、84年にマクドネル・ダグラス社の傘下に入り、同社が84年にボーイング社と合併したことからボーイング・ヘリコプターとなった。しかし、モデル269の製造はそれより前の1983年シュワイザー社に移り、MD900、MD500/530/600は1999年ボーイングからオランダ資本へ譲渡され、現在ボーイング社ではAH-64アパッチだけが製造されている。

 これらの各ヘリコプターは日本へも導入され、日本との関係は決して浅くない。以下、各機の概況をみてゆくことにしよう。

パイアセッキH-21

 ボーイング・バートル社の前身パイアセッキ社が開発したタンデム・ローター・ヘリコプター。1952年4月11日に初飛行した。量産機は米空軍がH-21AおよびH-21Bワークホースとして214機を購入、米陸軍もH-21Cスワニーの名で334機を採用した。ドイツ、フランス、カナダでも使われ、ベトナム戦争にも投入された。

 当初38機のH-21Aは、やがてライトR-1820-103星形エンジン(1,425hp)1基を装備した出力強化型のH-21Bに変わった。兵員20名または担架12名分の搭載が可能で、負傷兵の救助や火器の輸送にも使われた。H-21Cはサンディエゴからワシントンまで途中4回の空中給油を受けながら米大陸を横断した記録を持つ。

 日本へは1959年(昭和34年)陸上自衛隊がH-21の民間型V-44を大型ヘリコプターによる輸送研究用として2機購入、同年秋の伊勢湾台風で人命救助と緊急輸送に活躍した。その後、明野などで各種の研究テストをおこない、一部輸送用などにも使われた。

 一方、航空自衛隊は1960年(昭和35年)、在日米軍からH-21B中古機10機の供与を受け、1967年(昭和42年)まで救難機として使用した。

ボーイング・バートルV-107

 川崎重工が昭和37年(1962年)からライセンス生産をはじめた大型タンデム・ヘリコプター。日本では3自衛隊の全てに採用され、民間でも旅客輸送に使われた。今も捜索救難や物資輸送に飛んでいる。

 V-107はボーイング・バートル社がパイアセッキ・タンデム機の発達型として開発、胴体をコンパクトにして下面を水密とし、ターボシャフト・エンジンを後方パイロンの左右付け根に取りつけている。原型機はライカミングT53エンジン(877shp)を装備して1958年8月12日に初飛行した。のちに実用機のエンジンはT58-140-1(1,400shp)に変わり、出力が強化された。

 機体はタンデム・ローター形式なので重心の許容範囲が大きく、ホバリング効率も良い。こまかな舵がよく効くのも特徴のひとつ。軍用としてはCH-46シーナイトの呼称で米海軍と海兵隊に採用され、カナダ、スウェーデンなど世界中で使われている。

 改良型V-107-Uは1962年初め、民間機としてFAAの型式証明を取得した。日本では川崎重工が製造ライセンスを買い取って国産化し、1963年(昭和38年)から海上自衛隊がV-107-U-3の呼称で採用、強力なウィンチ2つと自動安定装置をもって掃海や曳航に使用した。

 次いで1966年(昭和41年)陸上自衛隊が空中機動作戦の主力輸送機V-107-U-4として導入、床面を強化して大型貨物の搭載を可能とし、武装兵員26名または担架15人分を搭載できる。機外吊下げ用のカーゴスリングは容量4.5トン。

 航空自衛隊は1967年(昭和42年)からV-107-U-5の呼称で航空救難群に配属、捜索、救難、輸送などに使用した。航続距離が長く、サーチライトや通信/航法機器も完備している。

 民間機は初号機がタイへ輸出され、2号機は関汽エアラインへ納入された。同社は2機を購入し、1963年(昭和38年)8月から別府〜阿蘇〜熊本を結ぶ日本で初めてのヘリコプター旅客路線を開設した。

 その後ボーイング・バートル社は軍用型CH-46の生産に専念し、民間型は1965年から川崎重工が世界中に販売できることとなり、アメリカ、スウェーデン、サウジアラビアなどへ輸出された。東京警視庁も1973年(昭和48年)から2000年(平成12年)まで本機を使っている。

 川崎重工ではKV107Uおよび改良型UAを平成元年までに160機生産した。

ヒューズ269/TH-55

 簡潔な構造と容易な整備を目標に開発された小型レシプロ・ヘリコプター。軍用面では基礎訓練機、民間では個人向けの自家用機や農薬散布機として使われている。1955年ヒューズ・エアクラフト社で開発がはじまり、ほぼ1年後の1956年10月初飛行した。

 キャビンは透明キャノピーの2人乗り。主ローターは3枚ブレード。改良型の269Aはコクピットがさらにコンパクトになり、胴体は鋼管構造。降着装置は先端がはね上がったオレオ干渉装置つきのスキッドに変わり、尾翼は左右非対称である。

 同機は米陸軍が5機を試用して改良が加えられ、量産型は陸軍の基礎訓練機TH-55Aとして1964年夏採用が決まった。69年春までの5年間に792機が引渡されている。

 民間型269は2〜3人乗りで、のちにモデル300と呼ばれるようになった。出力を上げて、主ローターを新しくした300CはライカミングHIO360-B1Aエンジン(180hp)を装備する。日本では1965年(昭和40年)から民間向けの輸入がはじまり、陸上自衛隊の訓練機としても採用された。1983年からは米シュワイザー社が製造しており、今も多数が飛んでいる。

ヒューズ369/500D/500DA

 米陸軍のLOH(軽観測用ヘリコプター)として開発された小型タービン機。1963年2月27日に初飛行。軽量、コンパクトで、宙返りも可能な運動性と高速性能を持つ。この軽快な機動性により、連絡および観測という本来の任務に加えて、ある程度の対地攻撃能力も備えるようになった。

 主ローターは当初が金属製4枚ブレード。ハブはベアリングやヒンジが不要。尾部ローターの駆動軸も1本のチューブだけという簡潔さ。胴体は空気抵抗の少ない卵形である。

 日本では1968年(昭和43年)以来、川崎重工がライセンス生産し、陸上自衛隊と海上自衛隊で採用された。陸上自衛隊向けOH-6Jは1969年(昭和44年)から納入がはじまり、同時に民間型369も読売新聞社その他への引渡しがはじまった。

 1979年からはエンジン出力を増し、主ローター・ブレードを5枚としてローターマストの上にクーリーハットを取りつけ、尾翼をV形からT形に変更してOH-6Dとなった。民間型369Dは1978年(昭和53年)に運輸省の型式証明を取得した。1996年(平成8年)までに、自衛隊機と合わせて総数387機が川崎重工で製造された。

MD900エクスプローラー

 1990年代初め、当時のマクドネル・ダグラス・ヘリコプター社で開発された中型双発タービン・ヘリコプター。初飛行は1994年11月22日。のちにボーイング社に吸収され、99年2月からはオランダRDMグループの傘下に入って生産が続いている。

 最大の特徴は尾部ローターのないノーター機構で、騒音は同級機の4分の3程度に下がり、操縦がしやすく、安全性が増し、直接運航費も安いという特徴を持つ。主ローターはベアリングレスのフレックスビーム構造で、複合材製の5枚ブレード。機体はAフレームと呼ぶ頑丈な枠組みで、その下にスキッド式の降着装置がある。

 エンジンは最新型のMD902がPW206E(636shp)、またはアリウス2C(641shp)が2基。カテゴリーAの垂直離着陸が可能である。特に本機は救急ヘリコプターとしての需要が多く、最近の受注は3分の1以上が救急用となっている。

 なおMDヘリコプター社ではP&W207Eエンジンを装備する改良型の飛行試験も進んでいる。飛行性能を1割増とし、カテゴリーAの安全性向上が目的。日本では1996年から輸入されるようになり、最近までに10機を超えた。

ボーイング・バートルCH-47チヌーク

 米陸軍の空中機動部隊のために開発された大型輸送用ヘリコプター。搭載量およそ10トンの巨大な機体と、胴体前後にローターを持つタンデム形式が大きな特徴で、最新のCH-47FはT55-714エンジン(4,168shp)2基を尾部パイロン左右に装備する。

 開発は1956年にはじまり、61年9月21日に初飛行した。胴体断面は大きな角形。後方にはランプ・ドアがついて大型貨物の積み卸しが容易にできる。キャビン容積は42立方メートルで、兵員44名または担架24名分と看護員2名の搭載が可能。機外吊上げ能力は最大12トン。胴体左右にはフェアリングが張り出し、燃料タンクを内蔵する。全天候の飛行能力をもつ。

 米陸軍は最初のモデル114を5機発注、つづいてCH-47Bとなり、1967年10月14日に飛んだCH-47Cはエンジン出力を上げ、68年春から引渡しがはじまり、ベトネム戦争で活躍した。

 日本では川崎重工が1984年(昭和59年)にモデル414のライセンス契約を結び、CH-47Jの呼称で陸上自衛隊と航空自衛隊向けに製造することになった。陸上自衛隊はKV-107の後継機として、航空自衛隊は端末輸送という新しい任務に対応するものとして本機を採用した。最近までの国産数は65機以上。

ボーイングAH-64アパッチ

 1991年の湾岸戦争でめざましい攻撃力を発揮、一躍勇名をとどろかせた最強の攻撃ヘリコプター。開発は1970年代なかば、ベトナム戦争の教訓にもとづき、昼夜間の戦闘能力、精密攻撃能力、高い生存能力を求めて進められた。原型初飛行は1975年9月30日。

 機体形状は細く、コクピットには乗員2人が前後に乗り組み、前席に副操縦士兼射手、後席に操縦士がすわる。キャノピーはフラット。

 主ローターは4枚ブレードで23ミリ弾を受けても30分の飛行ができる耐弾性をもつ。尾部ローターは真っ直ぐな2枚2組のブレードを離して取りつけ、120°と60°のオフセットになっている。これで各ブレードの渦流を次のブレードが叩くのを避け、騒音の発生が抑えられる。

 武装は対戦車ミサイルのヘルファイヤ、70ミリ・ロケット弾、30ミリ機関砲など。最新のAH-64Dは電子装備が一新され、ミリ波レーダーを搭載して攻撃力がいっそう向上した。

 日本では2001年8月、陸上自衛隊の次期攻撃ヘリコプターとして採用が決まった。現中期防で10機の調達計画が進んでおり、2002年度と03年度で2機ずつの予算が計上されている。 

(西川 渉、『エアワールド』2003年5月号掲載)

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