
アーリントン墓地に想う![]()
「恐ろしき炎逆巻く場所にても、神よ、我が任務を全うし人命を救い出すカを与えたまえ。神よ、炎に巻かれた幼き者を、運命に怯える老いたる者を、共に救い出す力を与えたまえ。いかに、警告の叫びが弱々しくとも、見事に聞き届けて見事に火を押える力を与えたまえ。我が天職を全うし、我が隣人たちの生命財産を守り抜くことをここに誓う。そして神よ、あなたの意志で我が命を召し上げられるときは、祝福と共に我が家族をその御手で守りたまえ」
上の文章は『9・11セプテンバーイレブンス』(冷泉彰彦著、小学館、2002年3月10日刊)に引用されているニューヨーク消防士の祈りの言葉である。原文はおそらく、もっと口調がいいのではないかと思うが、消防士たちは普段からこの祈りまたは誓いの言葉を口にしながら任務を遂行しているのであろう。彼らが先日の同時多発テロで多大な犠牲を払ったことはいうまでもない。
この本の中で、著者は「ニューヨークの消防士は『命知らず』を誇りにしてきました。ですが、兵士の『命知らず』が相手の殺戮を目的としているのと比較しますと、消防士のそれは人命救助のための自己犠牲であって、より純粋な信念」であるところが異なるとして、消防士をたたえている。
ところが、そこまではいいのだが、「ニューヨークの消防士は歴史的に警察とは仲が悪く、今回も911以降の遺体収容活動縮小に抗議して警察と立ち回りを演じたりもし」たらしい。
このことは私も先に書いた問題で、ワールド・トレード・センターの屋上非常口に鍵がかかっていた理由の一つになったという説がある。そのうえニューヨークには、高層ビルで火災その他の災害が発生したときは、市警のヘリコプターに消防隊員を乗せて現場へ運ぶというルールがあったにもかかわらず、この8年間一度も実行されたことはない。9月11日も、警察ヘリコプターで屋上へ運んでくれという消防隊員は一人もいなかったというのである。
まことに危機管理とはむずかしいもので、如何に立派なルールが決まっていても、ちょっとした感情の行き違いから助ける方も助けられる方も命を落とす結果になってしまうのである。
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もうひとつ、この本には「ペンタゴンに激突させられたアメリカン航空機のパーリンゲーム機長が、アーリントン国立墓地に海軍軍人として葬られる栄誉を得た」という話が出てくる。ただし「ここに至るまでの遺族の努力は大変なものでした。軍当局は最初、予備役として現役を退いた海軍軍人であるバーリンゲーム機長は年齢が若すぎて資格がないと埋葬を拒否したのです」
しかし「遺族は納得せず、話し合いが続きました」。この「機長は、民間に転出するまでは海軍の優秀なパイロットで、若いときには『トップガン』の一人として『機体と会話できる異才』と言われていた」らしい。最後は遺族の願いがかなったようだが、日本ならばさしずめ戦前の靖国神社へ祀られるような気持だったのかもしれない。
先日アーリントン墓地に行ったとき、その入り口の看板に下の写真のような文言が読めた。「アーリントン国立墓地、わが国の最も聖なる神社」というのである。「shrine」という言葉は聖地とか霊場とも訳せるから「最も聖なる霊場」と訳してもいいが、日本の神社だって聖地や霊場にほかならない。つまり、ここは靖国の地――国を治め、安らかにしずめる聖地なのである。
(アーリントン国立墓地の入り口で、朝日ヘリコプター取締役岩本善夫さん。
この聖地では常に敬意を払って行動するようにという注意書きが読める)アーリントン墓地は1864年、南北戦争の戦死者を葬るために設置された。奥へ入ってゆくと、広大な敷地に白い墓石が整然と並んでいる。いずれも国の負担による大理石づくりと聞いた。無名戦士(unknown soldier)の墓が多いが、同時にケネディ大統領を初めとする著名な政治家や軍人の立派な墓もあって、南北戦争から第1次世界大戦、第2次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争など数々の戦場に倒れた兵士がここに眠っている。その数25万人以上といわれる。
(無名戦士の墓も大理石)墓地正面では墓を守る衛兵の交替がおこなわれていた。彼らは米陸軍第3歩兵隊の特別に訓練を受けた衛兵で、1日24時間、雨が降ろうと槍が降ろうと、休みなく警護を続ける。警護の形はライフルを手にして墓前を21歩で歩いては180°向きを変えるという規則正しい動作を繰り返し、季節によって30分あるいは数時間ごとに厳粛な儀式をしては交替をするとか。
(衛兵の交替――指揮官と共に1人がやってきて前からの1人と交替し、1人で任務につく)さらに奥へ行くと、これは無名ではなくて有名な高位の軍人でもあろうか、埋葬の儀式がおこなわれるところであった。星条旗に包んだ棺をのせた4頭立ての馬車が葬送の鼓笛の音と共に進み、その後に徒歩の会葬者が続く。やがて定められた墓所の前で止まると、棺が穴の中に降ろされる。そして弔礼射撃の3回斉射が悲しげに響いて埋葬が終わる。この間15分くらいであった。
(埋葬の葬列)
(埋葬の儀式に先立って、墓地の入り口近くで待機していた弔礼の射撃手)
(埋葬を終わって、戻ってゆく葬列。後ろから主を亡くした馬がついてゆく)ジョン・F・ケネディ大統領がここアーリントン墓地に眠っていることはいうまでもない。1963年11月22日テキサス州ダラスで暗殺され、3日後の11月25日に埋葬された。
隣にはジャクリーン夫人の墓もあり、後方には消えることのない「永遠の炎」(Eternal Flame)が燃え続けている。
余談ながら、ここに埋めこまれている石を持ち帰ろうとした悪者が何人かいるらしい。しかし、いずれも失敗に終わった。というのは一見なんでもないような石が、それぞれ重さ何百キロもあり、地中では相互に鎖でつながれているからである。よほど大がかりな重機械を持ってきて大工事でもしなければ、石は持ち上げられない構造になっている。
(手前中央がケネディ大統領、画面右手がジャクリーン夫人の墓)![]()
(永遠の炎と弔意をあらわす半旗)アーリントン墓地を訪れたのは、これが2度目か3度目である。前にきたときは、どこかの壁にケネディ大統領の有名な就任演説「国家が諸君に何をしてくれるのかを問う前に、国家のために何ができるかを問いたまえ」(Ask not what your country can do for you, but what you can do for your country.) という言葉が刻んであったが、それが広大な墓地のどこにあったのか、今回は残念ながら見つけることができなかった。
今や日本では、政治家自身が国家を利用して自分のために何ができるかを問うているようなもの。「国家のために」などと考える人物は全く見られなくなった。もちろんニューヨーク消防士のような自己犠牲の精神はかけらも見られない。
靖国神社の参拝にしても、靖国の本来の意味――やすらかに国を治めるという意義が分かっていないものだから、参拝は公的か私的かなどと見当違いの騒ぎに終わっている。その結果、実力者といわれる連中ほど国を治めるどころか、国中を騒がせ、人心を乱れさせる言動ばかりになってしまった。
消防と警察の関係も、ニューヨークのような立ち回りこそ演じないけれど、救急現場で見る限りは形だけの協力にすぎず、これでは助かるべき人も助からない。今のままでは、遠からずして再び三度び、地下鉄サリン事件のようなテロが起こるであろう。
(西川渉、2002.4.1)
【参考サイト】航空人の見た9.11多発テロ (表紙へ戻る)